「フレンチの神様」ジョエル・ロブション逝く

彼の名を冠した世界各国のレストランで合わせて24ものミシュランの星を獲得した「世界で一番多くの星を持つシェフ」であり、世界で最も有名なフランス料理人のジョエル・ロブションが8月6日(月)に73歳で亡くなりました。名だたるシェフたちはもちろん、各界から彼の死を惜しむ声が上がっています。




1945年4月7日、ポワチエの慎ましい家庭に生まれたジョエル・ロブションは、12歳で神父になることを目指しますが、教会の中で食事の準備を手伝ううちに料理への興味が湧き上がり、15歳から料理人の修業を始めます。今年1月に亡くなったポール・ボキューズが切り開いた「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の風を感じながら、生来の生真面目さと完璧主義で着実に腕を磨くと、1974年、29歳にしてパリ17区のコンコルド・ラファエット・ホテルの総料理長に就任。1976年にMOF(国家最優秀職人章)を取得すると、1978年にはパリ15区にあったホテル日航のシェフとなり、1981年にミシュラン2ツ星を獲得。その後、独立してパリ16区に開いた「ジャマン」で、1984年ついに3ツ星を獲得します。

1990年にはグルメガイド「ゴー・エ・ミヨー」から「今世紀最高のシェフ」の称号を受け、まさにフランス料理界の頂点にいた1996年、51歳で突然の現役引退を発表。何十年ものあいだミシュランの星を維持するというプレッシャーから解き放たれた彼は、スペインに移住します。タパスの国スペインで、星付きレストランの堅苦しいルールなしで上質な料理を少しずつ楽しめるお店「アトリエ」のコンセプトが生まれたのは自然なことでした。2003年、東京とパリに最初の「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」がオープン。その後、NYやロンドンなど世界に広がっていきました。




今年4月には、パリに「Dassaï Joël Robuchon」をオープン。人気の日本酒「獺祭」の旭酒造とロブションがコラボしたプロジェクトで、獺祭とフレンチとのマリアージュを楽しめるサロン・ド・テ/パティスリー/レストランです。最後にロブションが関わったのが日本と関わりの深いお店だったのは偶然ではないでしょう。ロブションは日本のことをとても愛したシェフだったからです。「私は日本にとても愛着を持っています。盛り付けの美しさや、素材の旬を大事にすること、食器へのこだわりなど、私の料理に多大な影響を与えてくれた国です。」と語っています。

巨匠の73歳という「早すぎる」死は惜しまれますが、彼の遺志を受け継ぎ、フランス料理をますます発展させていく弟子たちが世界中にいることが救いであり、同時に、ジョエル・ロブションの偉大な業績を実感させてくれます。

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