【訃報】フランスを代表するデザイナー、ピエール・カルダン死去

LP/Frédéric DUGIT

フランスのモード界のみならず、1950年代から世界のファッション、デザイン業界を牽引してきたフランス人クチュリエ、ピエール・カルダンが、2020年12月29日の朝にパリ近郊のヌイイ・シュル・セーヌにあるアメリカン・ホスピタルにて息を引き取りました。98歳でした。今年10月に日本公開された彼のドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・カラフル!未来をデザインする男 ピエール・カルダン」を紹介したばかりだったので、きっとお元気にされているのだと信じていました。




「クリスチャン・ディオールは彼の母が好んで着るドレスを作りたがったが、私は新たな道、宇宙や科学、無限の可能性を探求したかった」という言葉にもあるように、キャリアをスタートさせたクリスチャン・ディオールを去り、自身の名前を冠にしたブランドを1954年に立ち上げ、誰もが着られるプレタポルテ(既製服)を本格参入しました。そして、カルダンといえば何と言っても、世界中で知名度を上げたライセンス事業の先駆者的存在。時には、便座カバーにも彼の名前が入っている、などと揶揄されることもありましたが、他のデザイナーが実現しえなかったモード業界初の試みを意欲的に進めた型破りで先進的な姿勢が、今も高く評価されています。前述のドキュメンタリー映画の中のインタビューで、「私はモード業界で唯一の自由人だ。1950年代から、AからZまでのピエール・カルダンで居続けた(あらゆる分野に挑戦した)。他のデザイナーたちは亡くなってしまったか、別の人の手に譲ってしまったというのに」という言葉を残しています。

1893年創業のパリの老舗レストラン「Maxim’s マキシム・ド・パリ」を80年代に自ら買収し、倒産をまぬがれたり、併設の美術館では自身のコレクションを中心とした1900年代のアール・ヌーヴォーの名品や調度品の数々を展示したりするなど、前衛的な姿勢だけでなく、伝統や文化遺産を大切に守っていく活動も盛んに行っていました。

余談ですが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、主人公マーティーが履いているカルヴァン・クラインのトランクスがフランス語吹き替え版ではピエール・カルダンで、マーティーのお母さんが彼の名前を「ピエール」だと勘違いするシーンがあります。フランス人にとってはもちろんのこと、日本人にとっても、ピエール・カルダンはモードの美しさや楽しさを日常生活のレベルで、一般の私たちにも教えてくれた偉大なデザイナーでした。

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